続 生きる

1週間前の深夜に父は亡くなりました。
その日、夜中の病院からの電話で、私も弟も急いで駆けつけましたが、間に合いませんでした。

私たちは、安らかな余生を送る事を願っていましたが、父の最後の1ヶ月は見ていて本当に苦しそうでした。

緩和治療しか出来ない状態であっても、父は自分の症状を治そうと努力していました。
「点滴からの栄養だけではなく食べないとダメ」というと、好きでもない栄養ゼリーや栄養ドリンクを口にしました。
また、「先生に、ここを治してと頼んでくれ」「なかなか良くならん」が口癖でした。

自分の「生」ある限り「生きよう」と努力していたのがよく伝わりました。

緩和治療であっても、全ての症状が緩和されるわけではありません。
熱で意識がもうろうとしたり、脚のむくみはひどくなる一方、寝ている体勢を変えるだけでも痛みで思うように動けませんでした。
最後は肺に水がたまり、タンがからんで普通の呼吸ができなくなっていました。

そんな状態であるにも関わらず、毎日、昼と夜との喫煙だけは欠かさず、亡くなる2日前の昼まで続けました。
私は昼間担当で、午前の仕事が終わると原付を飛ばして病院に駆けつけ、ベッドから抱きかかえて車いすに乗せ、一階玄関の喫煙所に連れて行きました。
点滴をしながらですので、まるで大名行列のように車いすと点滴を吊ったものを同時に操作して動かすのは大変でした。
仕事で少しでも時間に遅れると、病院から携帯電話で「遅いなあ」とグチが入る事もたびたびで、それくらいたばこを吸いたかったようです。
考えれば、意識も頭もしっかりしていましたし、ただただ、ベッドで寝ているだけの生活はたまらなかったのだと思います。

そんな父を見ていて思ったのは

「生かされている間は精一杯生きろ!」
「生きている間は楽しめ!」・・・でした。

これは遺言だと思っています。

父の孫は娘4人ですが、お通夜の日は4人が代わる代わるお館の前にやってきて、父の頭をなでていました。
「いくら顔を見ていても飽きない」と孫娘4人に言わしめた父はすごい人だったと思います。



聞きたかった転職の件は・・・「転職はもったいないと思った」・・・でした。

いずれ、私があの世に行って、父と再会したときに「転職してよかったなあ」と言ってもらえるように今の仕事を頑張るしかないなあ・・・。

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by s-onisi-seikotuin | 2013-10-23 22:41 | その他 | Comments(0)  

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